生きている内は負けじゃない

日々のニュースや趣味等、折々に見たこと感じたこと考えたことをごった煮で詰め込む雑記ブログ

日本人を悩ます「趣味はなに?」問題

先日、職場の近くでランチを食べていた時のこと。(非リアぼっちで友達がいなくて)一人なので、隣のテーブルにいた二人組の女性の会話が聞くともなしに聞こえてきます。その二人は仕事の話や同僚のことを賑やかに話し続けていたのですが、話題がプライベートな方向に転じた時のこと。「趣味はなに?」という、悪魔の質問が発せられました。
その瞬間、空気が凍ったような、世界から音が消えたような感覚が僕を包みました。さっきまで絶え間なく続いていた二人の会話がぶつりと途絶え、尋ねられた方は不自然に押し黙っています。随分長い時間が経ったように感じられた後、ようやく答えが聞こえてきたのですが、その言葉が印象的でした。「そう訊かれてどう答えようか、最近悩んでます。」みたいなことを言ったのでした。
そんな印象的な言葉を放った彼女は、返す刀で「休日はなにしてますか?」とこれまた答えにくい質問を口にします。訊かれた方は口ごもった後、「何かアクティブなことが出来たらいいけど、本当はネットで服とか見てる方が好き」というようなことを言って、その答えに質問した彼女も「分かります!!」と力強く頷き、その一言をきっかけに二人の間の緊張感みたいなものは消え失せたのでした。

この短いやり取りには、現代の日本人を悩ませる「趣味はなに?」問題の本質が全部出ていると思います。それは、「他人に堂々と趣味と言えるような趣味を持った人なんて殆どいない」のに、「訊かれる機会が多くて、しかも必ず何か答えないといけない」ということです。似たような質問の「休みは何してるの?」も同じですね。特に「そう訊かれてどう答えようか、最近悩んでます。」という答えは、特に象徴的です。
なぜ趣味を訊かれたら必死に趣味を「探して」答えなくてはいけない雰囲気になるのでしょうか。それはたぶん、「個性」を強調し重視する社会で、趣味というのはその人の「個性」を際立たせる最重要の属性だからです。現代の多くの日本人にとって、「無個性で面白みに欠けるヤツ」と思われるのは、密かにダメージの大きなスティグマなのではないでしょうか。だから、「(趣味…自分の趣味って何だろう?うーん、うーん、たまにしか見ないけど)映画です!」みたいな感じになるわけです。

ところで、趣味や休日の質問は、たぶん独身の人に向けて発せられることが多いと思うのですが(子供が小さくて手が離せない人には訊かないと思います)、凄まじい長時間労働を強いられていて自由時間が全く無い人ならともかく、普通の独身の勤め人であれば、それなりに自分の時間は有るわけです。その時間、ずっと寝てるとか、ひたすらぼーっとしている人というのは、皆無ではないのかもしれませんが、ほとんどいないでしょう。大半の人は、それなりに自分のやりたいことをして楽しく過ごしているわけです。それなのになぜ、趣味を問われると困ってしまうのでしょうか?
その答えがまさに、上記の「ネットで服」の流れにあるわけです。つまり、現代の日本社会の文脈で堂々と「趣味」と言い張れるものって、独特の「敷居の高さ」みたいなものがあるわけですね。
趣味って、元々どういう意味なんでしょうか。「goo国語辞書」によると、以下の意味だそうです。

1 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「―は読書です」「―と実益を兼ねる」「多―」
2 どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。「―の悪い飾り付け」「少女―」
3 物事のもっている味わい。おもむき。情趣。

このうち、趣味はなに?と訊かれた時の意味は、1番でしょう。つまり元々の意味は、仕事以外で楽しんでいること、程度の意味です。別にネットサーフィンしようが、部屋で寝っ転がって漫画を読もうが、ぼーっとバラエティ番組を見たって構わないわけです。でもたぶん、こういうものを趣味って言う人って少ないと思います。
微妙なニュアンスなので伝えにくいのですが、現代の日本で趣味と言うと、「自分から積極的に動く種類のこと」みたいな雰囲気があるような気がします。つまり、部屋でネットしたり漫画読んだりテレビ見たりみたいな、「受け身」のことって、趣味とは認めづらい、認められていない感じがするんですね。
例えば同じ漫画でも、「趣味は漫画を描くことです」なら、オッケーだと思うんです。まあ描いてる内容によってはドン引きされるでしょうけど、内容が普通(何が普通かはこの際置いておきます)であれば、立派な趣味と認められる気がします。もちろん、そこまでクリエイティビティを発揮しなくても、スポーツ系は大体認められそうな気がするし、「美術鑑賞です」「食べ歩きです」「雰囲気のいいカフェ巡りです」みたいなのも、それはそれでオッケーな気がします。ただ、家から出れば何でもオッケーではなく、「近所の家電量販店に行ってブラブラ家電を眺めるのが好きです」はいいにくい気がします。個人的にはヨ◯バシカメラをそぞろ歩きするのは大好きですが…。ちなみに同じブラブラ眺めるのでも、対象が古書とか骨董品だったらセーフな気がします。
上記に挙げた例は完全に僕の主観なので、その判断基準はおかしい!という声はあるでしょうけど、何となく言いたいことは分かってもらえたのではないでしょうか。「主体性」「クリエイティビティ」「文化的な香り」みたいな要素を、全てとは言わずとも7割くらい満たしていれば「趣味」と言えるけど、そうでないと言いにくい「空気」があることは、なかなか否定できない気がします。

あと、「趣味」の敷居の高さの原因はもう一つあって、今の日本で趣味と言うと「長く続けていてそれなりに極めていること」みたいなニュアンスがある気がするんですよね。「最近ハマってること」程度のレベルでは趣味と言い難い気がします。だから僕はよく「趣味って程じゃ無いですけど、最近は◯◯にハマってます」という言い方をしたりします。
確かに、昔から続けている趣味があるというのは素晴らしいことだと思います。でも、人間って基本的に興味がどんどん移り変わっていく動物なんです。「昔からずっと続けてる趣味があります」という人は、とても幸運だと思いますけど、日本人全体のどれだけいるんだろう?と思います。

かてて加えて、この問題がより難しいのは、「相手によって言えたり言えなかったりする」という側面があることです。現代の若い日本人であれば、「オタク系」の趣味を持っている人の割合はかなり高いでしょうけど、そういった方向の話題は相手を選ぶわけです。オタク仲間ならともかく、職場の上司には口が裂けても言えない「趣味」だったりするわけです。そして言うまでもなく、「趣味はなに」「休日は何してる」なんて質問は、オタク仲間ではなく上司や同僚から発せられるわけです。
例えば、休日はアイドルのライブに行って光る棒を振り回しながらコールを連呼し、ライブが無い日は撮り溜めしたアニメをチェック…という男性オタクも、休日はしょっちゅう薄い本を漁りに即売会に出かけて、自分でも薄い本を書いてます…という腐女子も、どれだけオタ活が充実してても、なかなか言えなかったりするわけで。
あと、特にオタク系だと「突っ込まれるが面倒」というのもありますよね。小説とか漫画を書いてます、みたいな方向だと「えーっ見せて」とか言われるのも嫌だし。少なくとも僕は身近な人間に見せるのは嫌です。

結局のところ、趣味や休日のことを訊かれても、諸々の条件を乗り越えて「私の趣味はこれです」と言い張れる「趣味」を持った人って、本当に少ないわけです。こうして「(休日はネサフして録画したアニメを見て小説やブログの更新をして、映画館なんて月1くらいしか行かないけど)映画です!」と言って、「最近見て良かった映画は何ですか?」と切り返されて「ええっと…オデッセイ」と超有名作の名前を出して底の浅さを露呈して自爆する僕みたいな人間が生まれるわけです。
いやもうホント、いい加減やめませんか、この「趣味はなに?」っていう地獄みたいな質問。

キンプリはいいぞ

話題のキンプリを見てきた。凄い映画だったので、感想を書く。

正直、観る前は半信半疑だった。一部の信者が盛り上げてるだけじゃないかと。でも映画が始まった直後から、誰も予想しないような超展開・超展開・またまた超展開!何が何だか分からないが、気が付くと引き込まれる。最後までよく分からないが、少なくともテンションMAXであることは分かる。映画が終わった瞬間、近くにいた女性が叫んだ。「タカラトミーはどうしちゃったの!?」いや、タカラトミーは昔からこうだ。こう言えば分かるだろう、カブトボーグタカラトミーと。

こう書くと、高度なギャグアニメだと思う人がいるかもしれない。僕も最初はそうなのかなと思った。でも違う、キンプリはもっとぶっ飛んだ作品だ。

あらすじを物凄く大雑把に書くと、プリズムショーというライブ?で感動した男の子がプリズムスタァを目指してエーデルローズという学校に入って…という話だが、そこに憧れの先輩の卒業やライバル校との対立など様々な話が絡んでくる。

しかし、こういうあらすじは、本当のことを言うとどうでもいいと思う。キンプリは、はっきり言ってわけが分からない作品だ。けれど、とても楽しい作品だ。見終わった後に、明るい、楽しい、幸せな気分になれる作品だ。それでいいじゃないか、と思う。

どのくらい楽しい気分になれるか、個人的な体験を書いてみよう。キンプリを見る前、僕は仕事上の悩みなどで鬱々とした気分だった。キンプリを見終わった時、僕は全ての悩みを忘れて、軽やかな足取りで駅に向かっていた。まるで新興宗教の勧誘みたいだが、本当にそうなのだ。自分でもなぜなのか全く分からないが、ともかく悩みが消え、幸せで満ち足りた気分になっている。たぶん、平凡な人間の小さな悩みを吹き飛ばすようなパワーがあるのだろう。

たぶん、というか間違いなく、キンプリは好みの分かれる作品だろう。でも、百聞は一見にしかず、と言う。ぜひ劇場に足を運んで、そして出来れば「キンプリはいいぞ!」と言って欲しいと思う。

アップルとFBIのロック解除問題は21世紀の象徴だと思う

最近、アメリカでアップルとFBIがiPhoneのロック解除問題を巡って対立しているそうです。今、ヤフーニュースのトップにも出ていますね。

個人のプライバシー保護と犯罪捜査のバランスというのは極めて微妙な問題で、何が正解かというのは一概に言い切れないのだと思います。国によって法制度や価値観も異なりますしね。

なので、この問題については今後の推移を見守りたいとしか言えないのですが、このニュースはある意味で、21世紀という時代の象徴なんじゃないかと思います。

20世紀は、良くも悪くも国家の時代だったんですよね。経済の隅々まで、そして人間の心まで支配する全体主義体制の国家が幾つも生まれて、最盛期には世界の半分くらいがその支配下にあったわけです。資本主義や自由主義を掲げる国でも、社会民主主義福祉国家を掲げて、公的セクターの支出はどんどん増えていったわけです。いまでは先進国と呼ばれる国は軒並み、公的支出がGDPの半分くらいあるわけですから。それが良いか悪いかは価値観の問題ですけど、いずれにしても20世紀が国家の世紀だったことは否定出来ないと思います。

そこから考えを進めていくと、21世紀はどうなるのか?って疑問が湧きます。まず、最初に書いておくと、21世紀の国家はほぼ確実にますます役割が増えます。先進諸国は日本を筆頭にどの国も押し並べて急速な高齢化が進みますから、社会保障給付は右肩上がりです。あのアメリカでさえ、今は軍事費より社会保障費の方がずっと多いです。保健福祉省は国防総省の倍くらい予算付いてますしね。

だから国家が大きくなることはほとんど確実ですが、強くなるかどうかは分かりません。そして、その象徴がこの問題なんじゃないかと思うのです。

この問題で争点になっているiPhoneは5cらしいので、つまり二年半くらい前に発売された廉価モデルです。iPhoneは、言うまでもなく誰でも手に入れられるスマートフォンで特殊な機種ではないですし、問題の端末は政府や軍の関係者向けにセキュリティを強化した特注品でもありません。それどころか、むしろ今では旧型と言っていいモデルでもあります。最新機種ほどセキュリティは強化されているでしょうが、二年前のモデルでもアップルの協力無しには解読出来ないのです!

これは、21世紀の国家のあり方を象徴しているのかもしれません。少なくとも特定の領域では国家はかつてほど強くないし、最先端の技術やスキルを持つ多国籍企業や個人に対抗するのが難しくなりつつある、そういう現実です。

その原因は色々とあるのでしょう。デジタル化やグローバル化で技術や社会が急速に変化する一方、国家組織はベンチャー企業のようには動けないし、国境の向こうに影響力を及ぼすのも難しいです。また、特にサイバー空間では、アノニマスウィキリークスに代表されるように、一種のアナキズム的というか、反体制的な動きが(特に欧米では)出やすい、ということもあるのかもしれません。

暗号化などが進むことはプライバシー保護に役立つ反面、テロ対策などの観点では難しい面もあります。また、一部の多国籍企業やごく一部の高いスキルを持った個人が強くなりすぎることは、格差拡大の一因となっているとも言えます。有り体に言えば、工業化社会からポスト工業化社会へ移行する過程で、格差が拡大して、また特に欧州などでは、社会不安が高まる背景となっているのでしょう。

技術の進歩を止めることは出来ない以上、これは難しい問題です。格差の是正一つ取っても、多国籍企業は簡単に国境を越えて、利益をタックスヘイブンなどに溜め込んでしまいますから。格差が拡大する一方で科学技術は止めどなく進歩する、我々はある意味でSF的な時代に生きているとも言えるわけで、せめてこの作品がディストピア小説でないよう祈るばかりです。

少女漫画はなぜライバルや当て馬キャラの方が魅力的なのか

ふとバレンタインデーつながりで思いついたので…。

少女マンガって大抵、恋のライバルとか当て馬みたいな男子キャラがいますよね。例えば『となりの怪物くん』であればライバルは大島さん、当て馬はヤマケン。『砂時計』ならライバルは椎香ちゃん、当て馬は藤くん。『桜蘭高校ホスト部』や『BASARA』は恋のライバルはいないけど、当て馬は光と浅葱でしょうか。

大好きな作品とキャラクターを挙げてみて思うけど、特に当て馬役の男子は、みんな凄く魅力的なんですよね。藤くんなんて、どうしてこっちに行かないの!!と読んでて本気で思うし、ハルや殿も大好きだけど、ヤマケンや光も凄く魅力的ですよね。浅葱は最初は嫌な奴だったけど、気がついたら一番好きなキャラだったしね…。

そういうわけで、大好きなキャラの恋が実らず…というシーンを何度も見る事になるわけですが、なんでこんなに当て馬役の子達ばかり好きになっちゃうんだろうと思うわけです。

まあ、判官贔屓というのはもちろんあって、最終的に負けると分かってる立ち位置のキャラだからこそ魅力的に見えてる部分はあります。でもやっぱりそれだけじゃなくて、客観的に見てもなぜこっちなの???ってことも有ると思います。

それは一つには、スペックで見ればむしろ劣ってる方を選ぶ方が、そこに愛があるように見えるからというのがあると思います。どう見てもスペックが格上の方を選んだら、愛情ゆえなのか計算ゆえなのか分からないもんね。

もう一つは、主人公の価値観と自分の価値観が違うということでしょう。少女漫画の主人公は、多かれ少なかれ苦難をくぐり抜いて、時には困難な選択もするわけで。そこはまあ、自分とは違うだろうなあとは思います。

色々と書いてみたけど、やっぱり僕は光や藤くんや浅葱やヤマケンが大好きで、幸せになって欲しいと心から思う。そしてそこまで書いたところで、あれだけ高スペックな彼らはほぼ確実に幸せになるし、アラサーで年齢=恋人いない歴の僕は他人の心配してる場合じゃないって現実に気付いて、現実からそっと目を逸らすのです…。

今週のお題らしいので、バレンタインデーについて

今週のお題「バレンタインデー」

 

ブログを開設したばかりなのに何も書くネタが思い浮かばないので、はてなブログのお題に乗っかってみたいと思います。お題って聞いて00年代前半の同人系個人ホームページみたいだと思ったって言ってネタが理解出来る人がいるんだろうか…。

 

さて、はてな今週のお題のところにはこうあります。

 

「甘いものや苦いもの。バレンタインの思い出はありますか?

今週のお題は バレンタインデー です。

チョコを渡した思い出や、ドキドキしながら引き出しを開けた思い出。職場での粋なプレゼントや、バレンタインが近づくと聞きたくなる曲。今回はてなブログでは、2週にわたり「バレンタインデー」に関する投稿を募集します。皆さんのエピソード、聞かせてください!」

 

早速で申し訳ないけど、僕にはバレンタインの思い出が一つもありません。上記のようなエピソードは「少女漫画の中で読んだことあるな…」以上の認識が持てないため、僕にとってはゾンビ映画と同程度のリアリティしか無いです。たぶんバレンタインを満喫しているリア充の方々は、僕とは全く違う時空を生きているのでしょう。

 

まともな人生経験、恋愛経験を積んだ友人知人は続々と良き夫、良き父親になりつつあるのに、バレンタインの思い出一つ無い非リアで負け組の僕はアラサーオタクの道を全力疾走中なのです。どうしてこうなった…!!

 

そんな僕にもバレンタインの思い出が一つ出来ました。そう、このブログの開設記念日となったという…。

 

そういうわけで、来年以降のバレンタインのせめて唯一の思い出となるよう、ブログの更新を頑張ってみたいと思います。

はじめまして

はじめまして、aorangeと申します。もっと呼びやすい名前が必要だな…。

 

アニメや漫画からニュースや書評、趣味等まで薄く広く書き捨てる雑記ブログを目指して作ってみました。

 

いまいちペースがつかめないので更新ペースは遅いと思いますが、もし楽しんで頂ける方がいれば幸いです。よろしくお願いします。